
二十歳になってから、「すぐに三十路だよ」とよく言われるようになりました。
いつまでも若くないよ、色々経験したほうがいいよ…、言葉の意図するところは様々なのでしょうが、そう言われても目を開いてそこにない未来のことなど、考えても寂しいだけだと思うのです。
何故、あたかもそれが当たり前のことのように将来を語るのか…
二十年生きても理解できない子供に、十年後のことなど諭されても頭を悩ますだけなのは明白だというのに。
などと重々しく始めてみましたが、「当たり前のことを当たり前と認識している」…
その強さを考えて欲しいなぁ、と思ったのです
思い込みはなにより強いって言葉のほうなら聞き慣れているかもしれません
生きるということを時間の概念と共に捕らえたとき、そこに思い込みは不可欠なのですね
コンタクトレンズをはめて、いつものアマゾン・ライトをつけて(我ながら趣味悪いです)、定期を取って学校で授業を受け、駅ビルに寄り道して帰る…その日課ともいえる行動の隙間にいつ車が突っ込んでこようと、いつ訃報の知らせがあろうと、いつ行倒れのサラリーマンが現れようと…別にそれは何かが間違った結果ではないことだけはわかっているつもりです。
…つもりでしたけど、日課と呼ばれてる反復行動ですら連続でないのでした。
やっぱ日常って難しいよ